2003-11-02(Sun) [長年日記]
■1 伝説のジミー・ウォング 映画秘宝"ヤッチマイナ"スペシャル ギロチンまつり
ギロチン・サウンドを体験するために、事前に小田急ハルクのビックカメラで(このためだけに)FMラジオを調達*1して参戦。ミラノ座の雰囲気が昨日とはまったく違っていて安心する。祭の内容そのものはファンタのサイトにレポートが掲載されているのでそちらを参照:
- 「ジミー・ウォング氏主演兼監督『片腕カンフー対空飛ぶギロチン』 新作『ゼブラーマン』が控える三池崇史監督もビデオメッセージで応援に駆けつける!」
- 「満員立ち見のミラノ座にいよいよ登場!!ジミー・ウォング様!」
- 「映画秘宝スペシャルギロチンまつり!続いては予告編PR大会と今朝できたて『キル・ゼロ』20分ver! 」
さて感想。L.A.合宿で調達したと思しきモーフィアス・コートで観客を煽ろうとするも危なっかしく噛みまくるガースと、『キル・ゼロ』上映前に照れまくるウェインに象徴される、1,300を越える非体育会系の肉の塊がひしめく新宿ミラノ座は帰宅部の部室*2。1,300名の内訳の9割以上が、ファンタの客あるいは『映画秘宝』な客、またはファンタかつ『映画秘宝』な客。
『片腕カンフー対空とぶギロチン』、『キル・ゼロ』、そして『怒れるドラゴン/不死身の四天王』といった作品たちを、この集合のいち要素となって体験した経験は得がたいものだった。これこそ祭の名にふさわしい。ファンタのいつにもまして、観客の反応の一いちが感慨深かった。
かくも素晴らしい観客を集める雑誌に一時とはいえ、一度ならず関わることができたのは、やっぱり人生の間違いだったのだろう。が、「The Matrix」にもバグはつきものなようなので、それもまた摂理。そして、改めて私はそれを誇りに思うのであった。
……それにしても噂に名高い『片腕カンフー対空とぶギロチン』は強烈だった。徹底的に合理主義でプラグマティックな片腕のジミーさんと、弟子の仇に片腕ならば皆殺しなメクラのギロチン坊主の対決。現在のショウ・ブラ関連DVDリリース・ラッシュの奔流のなかで、これらもDVD化されるようで何よりである。発売が待ち遠しい。『キル・ゼロ』(編集が『キル・ビル』仕様になっているギンティ小林氏の力作)では尾藤イサオの『悲しき願い』が使われていたような。ニッポンからの意趣返し?
戦利品
秘宝本誌でおなじみのショップたちが3Fに出張っており、その中の一店、マーズが(?)販売していたアイアン・ジャイアントTシャツ。在庫処分で2,000円というヤケクソな価格。当然、飛ぶように売れている。写真のデザインのものはすでに現品しかなくなっていたのだが、ハンガーから外してもらって迷わず確保。で、もう一着買おうかどうかウダウダしている間に開幕のお報せ。いきなり客電落としているから自分の席にたどりつけない。こんな機能使い道あるのか?と思っていたSH-53のフラッシュライトが威力を発揮した。

帰宅後、妻に見せたら「2,000円だったらなんでもっと確保してこないのか。このボンクラが!!」と詰られる。いやはやごもっとも。
オマケにするには勿体ない『アイアン・ジャイアント』のトランプのデキがすばらしい。これは遊べないなあ。
■2 東京麺通団@西新宿
噂の新規店をようやく体験。オープンから半月経って客の入りも落ち着いたのか、元よりそうなのか、ほどほどの入り。落ち着いて食べられる。店の雰囲気も悪くない。セルフだけれど、ここなら夜に呑みに来てもいいと思う。まあ、HUBとかAngelみたいなもんだと思えば。 今回は醤油うどん・ちくわ天・半熟卵天、おでんは牛すじと平天を。うどんは小290円で、天ぷら/おでんはセルフだし、半熟卵天はちゃんと半熟で100円。値段を考えれば、及第点ではないかと。牛すじはちょっと堅かったけど。
■3 『エクスプローリング・ザ・マトリックス』読了
……いやあ、面白かった。みんな好き勝手に言いたい放題。一度ならず「港の上の空は空きチャンネルに合わされたテレビの色だった。」が引用されるなか、これはサイバーパンクだ/じゃない、SFだ/じゃない、サイ・ファイだ/じゃない、『The Matrix』は実現可能か、香港映画の簡単な歴史、マトリックス・フォー・コロンバイン、そうはいっても人間蓄電池はダサすぎる、などなど。以下、メモラブル・クォート。強調は引用者:
あなたは死ねない、私があなたを愛しているから。これが『マトリックス』の感情の核であり、これは大人が言うことではない。六歳の女の子が死んだ小猫に向かって言うことだ。しかも愛されるものは死んでもキスされると生き返り、歩きまわり、みんなをやっつける。申し訳ないが、これがいかにばかげているかは問題ではない。これは理性的な言説など超えているのだ。これに抗うことができる人間は、感情を失った存在でしかない。(ブルース・スターリング)
ダサいよそモノが力を得るこの映像、弱虫がインターネットとプログラミングに精通して強力になる構図は心理的に爆発しやすいものである──おそらく、ある人間にとってはあまりに強力すぎるだろう。(ジョン・シャーリィ)
お伽噺の世界でのように、<マトリックス>の中にいる間に機械に打ち勝つのに必要な力を得るためには、ネオは自分の新の名前を知らねばならない、ハッカーとしての名前ネオを、確信と説得力をもって自ら名乗らねばならない。ネオは個人、英雄にならねばならない。機械の世界を内側から乗取らなければならず、しかも唯一の道具は進行だ。(キャサリン・アン・グーナン)
『マトリックス』は人類を奴隷化しているコンピュータや邪悪な機械の話でもなければ、実にかっこいいサングラスの話でもないからだ。それはまだ大人になりきっていない者たちに力を与える話である。……本当のポイントは、観客の中の十代(それも特に男性の方)の一人ひとりに対して、少なくとも『マトリックス』の世界では、きみも──ぐずで血色が悪く、面皰面でやせこけて、他の影響を受けやすい素材でできた、非体育会系の肉の塊であるきみさえも、きみを苦しめる奴全員一人ひとりに、神のような力をふるうことができるのだ、というメッセージを送り届けるところにある。(アラン・ディーン・フォスター)
彼が選ばれし者(ザ・ワン)とされるのは何ゆえか。たぶん、彼がサングラスと黒のトレンチ・コートを着た時、キャストの中で誰よりもかっこよく見えるから、というだけの理由なのだろう。(カレン・ヘイバー)
皆さんよくわかってらっしゃる。だが、本書はそれだけではない。
我われは程なくして半ズボン兄弟によるこの物語のオトシマエを目撃するわけだが、それにあたって、改めて想起確認しておくべき事柄についても言及されている:
ネオが幻想のなかに逃げ戻ったのは、たいして不思議でもない。彼はデジタル映像の中に生きていて、電話ボックスから外に踏み出し、そして飛ぶ。限られた、錯覚にも等しいものであれ、それこそがネオの勝利だ。サイバー救世主は、実際にはまったく何一つ変えることができない。いざとなれば何もかも錯覚でしかない。(ブルース・スターリング)
ミスタ・スミスとネオは実はいくつか目標を同じくしている。二人とも、自分たちの人生を決定している、このよどんだ、琥珀に閉じこめられた虫のような夢を何とか超越したいと必死になっている。(リック・ベリィ)
──大丈夫かなあ。ちょっと心配な、公開3日前の私である。
| 


